ドウシテコウナッタ ブログ由来
「自分の手で和綿と藍をつくって、それでジーンズを作りたい」
なんだかとっても壮大な目的を掲げてしまったような気がするのですが、きっかけはほんのちいさなこと。
あとは、なりゆきというか、勢いというか。
もともと、手芸が好きで、レース編みが好きで、糸が好きで。
ふと、こんなに好きな糸、そのコットンボールを自分で育てて手にしたら、素敵だろうな、なんて2017年の春に思い至り、洋綿の種を入手したのがきっかけ。
そして6月の第4週目くらいに、すくすく育っている我が棉を見て、収穫を想像出来るようになったら、今度はその綿を自分の手で糸にしてみたいという、そんな欲が出てきて。
糸紬ぎを調べていたら、東京コットンビレッジさんがやっている糸紬ぎのワークショップがその週末にあるじゃないですか、と参加。
そこで和綿と出会い。糸紬ぎを教わり。
ちょっと種の季節は過ぎてしまったけれど、それでも和綿の栽培にチャレンジしたいなあと、白州綿、茶綿、会津木綿の種を入手して。
「昔の武士の袴は、茶綿で作り、藍で染めていたんですよ。ある意味、その色が古来のサムライブルーだったかもしれませんね」
なんてことを教えてもらい。
その時は、へーそうなんだ、が、家に帰って、糸紬の復習をしていたら、なんだかじわじわと、なにかがこみ上げてきまして。
「やだ、よく考えてみたら、なにそれかっこいい。それ私、やってみたい。古来のサムライブルー、見てみたい!」
という、謎の情熱に火がついてしまったのです。
「でも袴ははかないなあ。現代だとジーンズかしら。ジーンズ、ジーンズ。
自分で育てた茶綿と藍でかっこいいジーンズ作りたい。出来れば手作りで」
まあ、そこでまいた和綿が発芽しなかったら、私もここまで突っ走らなかったと思うんですけど。
発芽しないかも、と思っていた種が、白州綿2つ、茶綿3つ、会津木綿3つ、3日もしないうちに発芽しちゃったんですよ。
ええ。
「自分で育てた茶綿と藍でジーンズ作りたい。出来れば手作りで」
なんて情熱がしぼむ前に、和綿がにょっきりと発芽しちゃったものですから。
崖っぷちで背中をガン、と蹴られたようなもので。
棉はもともとは海辺で育つものだったとか。
ならば、海の近くで綿を育てたい。
ということで、探しちゃいました。海側でレンタル農園☆
契約しちゃいました、九十九里の近く☆
これが7月2日のこと。あら、和綿が発芽して、1週間経っていませんね。
謎の情熱に背中をどんどん蹴られながらも、いろいろとんとん拍子に。
正直ドウシテコウナッタのかは自分でもよくわからないのですが、そういう成り行きで
「自分で育てた茶綿と藍でジーンズ作りたい。出来れば手作りで」
プロジェクトを地味に進めていくブログです。